言葉では、伝えることのできない経験~アバター・マスターコース。
今回も、世界各地から、意識の探検のためにOrlandoというこの地に集まった冒険者たち。
「わたしが幸せになる」「わたしが成功する」という個人レベルの進化を超えて、もっと広い視点、大切なひとや尊い人類の平和や幸せ、そしてこの地球がより良いものになるために、自分を進化させようとする人たちがここに集まっています。
ここには、敵国同士となっている国からの参加者もいらっしゃいます。
平和な国、日本で育ったわたしたちからは想像を超える経験をして、ここまでたどり着いた人たち。
パレスチナ、イスラエル、クロアチアetc・・・
子どものころから「嫌っているのは自分たちでなく、イスラエル人だ」「ユダヤ人は、平和を愛する選ばれた人種」etcと教え込まれてき、信じて疑わなかった。
両親や学校、報道で流れてくる情報が積み重なり「悪者とは和平は難しい」「わたしは正義だ、相手が悪い。そして、正義は勝つ」という<信念>ができ上がる。
そして、「国のために死ぬのは素晴らしい」という信念を巧妙に教え込まれ、戦士として育成されていく。
イスラエルからアメリカへ移住した受講生の言葉より
これらの信念がどんな現実を創るのでしょうか?
沢山の人達が血を流し、命を落とし、お互いにさらに憎みあう連鎖が続いていくのです。
コントロールと支配に熱中した無節操なリーダーたちは、奉仕をしたいという欲求を利用して、何百万人もの若者を兵士として行進させ、殺し合いをさせてきました。彼らはこの信念やあの信念に奉仕して、あるいは国家への何らかの侮辱や、不動産をめぐる争いのために、勇ましくも愚かに死にます。戦争は奉仕したいという欲求を搾取するものです。そして、個人的責任と慈しみが未開発か、教え込みによって抑制されている人たちの人生を破壊します。 個人的責任と慈しみの要素を飛ばして、理念のために 焦って奉仕しようとする個人は、失望、搾取またはそれより ひどい目にあうという、相当のリスクを抱えることになります。道徳的責任を使命の成功や履行の二の次にすると、必然的に問題が生じます。これは個人にも、社会にも、国家全体にも言えることです。
(中略)
長い間、地球の人口の大半は、破壊的で、無分別で、 究極的には自己破壊的な奉仕に携わるよう、促されたり、 強制されたりしてきました。新聞を読み、テレビを見れば、人々は必要の無いものを求めて頑張っていたり、本当には欲しくないもののために他人を傷つけたり、最後には私たち全員を殺してしまうかもしれない道に従ったりしているのがわかります。ですから、この奉仕をしたいという私たちの内的欲求に関する、悪い知らせがそれです。個人的責任と慈しみによって 役立てない限り、それは権威者によって簡単に操作され、破壊的な結末に向かうことになるのです。
Avatar Legacy 著:ハリー・パルマー
「正しい」と言われたことを信じ、行動しても、全く事態が良くならないことに、「なにかがおかしい・・・」と気づく人たちがいます。
そして、<つながり>を探求し、人と人との間の対立や葛藤を慈しみで理解へと変えていく方法を求めて、アバター®マスターコースにたどり着いた人。
今回も私はこのコースの中で、世界中から参加した人が、他人や社会を非難することなく「この現実を創っているのは、わたしのどんな信念なんだろう」と意識を観察して、再構成し、自分自身の信念の責任をとる瞬間を目撃しました。
自分を苦しめていたのは、自分の信じていること、思い込み、考えであって、他人や世の中のせいではないと気づく瞬間です。
そして、その信念は自分で選びなおせる、と。
人が目覚める瞬間。
その気づきの瞬間を共にできることが、最高に幸せな瞬間です。
人が信じていることには、 自分でそれを信じようと意図的に決めたもの(意図的な信念)と、環境や人に教え込まれた信念があります。
(リビングデリバレイトリー 第15章「自分の現実をデザインする」より)
人はたいてい自分が信じていることが何か・・・、本当のところは気づいていません。
ただ、それを見てみるやり方を知らないだけなのです。
私は、今この瞬間、敵対している国家の両方、いじめている側といじめられている側の両方、加害者と被害者の両方、そして、あらゆる争っている両者に、アバター®のテクニックを知ってもらいたいな、と願います。
切に願います。
私たちが、自分たちの間にある違いとは、信じる内容の違いだけであり、そうした信じる内容は簡単に創ったり 消したりできるものだと気づくとき、正しいとか、間違っているとか、主張するゲームが終わりをつげ、共に創造するというゲームがはじまり、世界に平和が訪れます。これがアバターの使命です。
Avatar Legacy 著:ハリーパルマー
自分の中にある、役に立っていない信念、教えこまれた信念を自分で吟味することで ほんとうには何が起こっているのかを、価値判断なく感じることができる・・・
最後にはお互いが、お互いの学びのために必要な仲間だと気づき、今度は、協力して<平和への道>を共に歩くことができるとさえ感じるからです。
このとき、他者に対する慈しみと敬意が目覚めます。
それは、言葉では伝えることのできない経験です。
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